引込線 2017

ゼミナール給食センター

企画:ブランクラス、齊藤哲也、髙山真衣

飲み物や軽食と共に、ゆるやかにセクシュアリティに関する話(ディスカッション)を行います。

セクシュアルマイノリティを考える会は、2012年に大学院生によって始まったディスカッションです。
大学、公共文化施設、アートスペースなどで不定期に開催されるこの会では、
それぞれの現実を共有しながら、コーヒーやお茶を飲みつつ、ゆるやかに話をします。
私たちの周りには、LGBTだけでなく、実際には+αとなる多様なセクシュアリティが存在します。
またそれは、マジョリティ(多数派)・マイノリティ(少数派)という言葉で、括ることも難しいのかも知れません。
この会は、あらゆるセクシュアリティの人々が、皆で話し合える場を作り、継続して考えて行くことを目指しています。

齊藤哲也 Tetsuya SAITO
1985年神奈川県生まれ。芸術批評、研究者。女子美術大学大学院美術研究科芸術表象研究領域修了。 専門分野は現代美術、表象文化論、ジェンダー、セクシュアリティ。10代〜20代の女性が描く幼少時の少女漫画の模倣を背景とした表象表現について研究を続けている。論文に「少女表現主義」(2016年)、「少女としての自己表象、居場所を作ること」(2017年)など。 その他、美術関係の書籍冊子やタブロイド紙などの編集にも携わる。
髙山真衣 Mai TAKAYAMA
1988年長野県生まれ。美術作家。女子美術大学大学院美術研究科美術専攻日本画研究領域修了。 日本画の作法や細やかな手順に焦点を当て、パフォーマンス、平面作品の発表を行なっている。在学中にはセクシュアリティやジェンダーについて考える場を企画。 blanClass、横浜トリエンナーレ(2011)や六本木クロッシング(2013)等の企画でパフォーマンス発表。2012年、香川県の島にて滞在制作。中国上海のM50、吉祥寺のOngoing、茅野市美術館、国内外のアートフェア等、多数参加。現在台湾にて個展を開催中。

「引込線 2017」メイン会場(旧所沢第2学校給食センター)とサテライト会場(生涯教育推進センター)及び航空公園駅との間には在日米軍通信基地(所沢通信施設)があります。これを指示された複数の場所からフェンスを通してスケッチします(メンバー未定)。参加者はくじを引き、地図上の番号と符合する場所に行き、そこから見えるもののみのスケッチを行います。描いたものは給食センターに展示し、終了後には「スケッチ旅行反省会」(日時未定)を行います。

企画:冨井大裕、近藤恵介

冨井大裕と近藤恵介が2010年より継続的に行っているワークショップ「彫刻と絵画をめぐるワークショップ」を引込線2017で開催します。彫刻と絵画の古来よりの関係を探ることから始まったプログラムですが、作品をつくりながら身体を動かし考えたことを受けて、少しずつ更新され続けています。
これまでは参加者を一般に募っていましたが、今回は初めての試みとして、彫刻や絵画を制作する(あるいは制作していた)実制作者を招いて行います。ワークショップの様子は一般公開しますので、どなたでもご覧いただけます。制作中にしか立ち上がらない時空間、つまり、彫刻と絵画の抜き差しならない関係を体感ください。また、制作の後には作品を囲んでの簡単なトークも予定しています。完成した作品は会期中展示されます。

企画:中野浩二、冨井大裕
場所:展示会場バックヤード(駐車場)付近

モデルを、またはお互いをモデルとして、 人体彫刻もしくは首像彫刻を公開制作する。 ここで言う彫刻とは人物や身体をテーマとした立体表現という意味 ではない。明治期より連なる塑造教育の技術、 見方を軸とした表現である。人体彫刻という言葉が古色を帯び、 クラシカルな響きを奏でる様になったのは何時からだろうか。
その技法は一部の大学を除き、最早、 伝統芸能か秘術の様に扱われ、 日本の彫刻における中心とはなり得なくなった。 その理由は何だろうか。技法や考え方には、地域、時代、 教育機関、人によって様々な相違がある。この相違を踏まえて、 二人の彫刻家が同じ時と場所で人体彫刻を制作する。 人体彫刻を簡単な手段で大衆化するのではなく、 制作という実体験から離れずに有効性を問い(疑い)続けること。 このことを例えて民主化と呼んでおきたい。 制作した作品は会期中、展示される。

企画:冨井大裕、木原進

美術作品が社会で制作、発表され流通していく。このごく普通の流れに疑問なく制作活動を続けることは、制度的にも政治的にももはや不可能な世の中になった。この一連のプロセスは、何によって支えられているのか。社会的ネットワークへの問題意識も取り込んだ「ソーシャリー・エンゲイジド・アート」のような表現スタイルを問いたいのではない。制作を持続するための空間は誰かに用意されるものではなく、作家自らが現実世界の中で闘争し積み重ねて準備する。〈作品の自律〉という話は懐かしい響きをもってしまったが、〈スタンドアローン〉を志向する芸術作品や作家は、今も既存の社会を検討する上でのモデル、反証になり得る。芸術制作と社会関係の構築を安易に接続してしまうのではなく、制作とその外側の分節をふまえ、作品制作以外の活動から議論を開始する。制作の外堀を埋めることで、芸術活動の本丸に迫りたい。

企画:構想計画所

私が「何ごとかをさせられている」のではなく、「何ごとかをなしている」と言いうるのはどういう場合か?そこにはいかなる条件が必要であるのか?言い換えれば、私が何ごとかをなすことの成立要件とは何か?どうすれば私は何ごとかをなすことができるのか?
 いや、問いはもっと遡りうる。そもそも、私は何ごとかをなすことができるのか?
『中動態の世界:意思と責任の考古学』國分功一郎著 2017 株式会社医学書院より

國分功一郎 Kouichirou KOKUBUN
1974年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。高崎経済大学准教授。主な著書に、『スピノザの方法』みすず書房、『暇と退屈の倫理学 増補版』太田出版、『ドゥルーズの哲学原理』岩波現代全書、『来るべき民主主義―小平市都道328号線と近代政治哲学の諸問題』幻冬舎新書、『近代政治哲学―自然・主権・行政』ちくま新書、『民主主義を直感するために』晶文社など。訳書にドゥルーズ『カントの批判哲学』ちくま学芸文庫、ガタリ『アンチ・オイディプス草稿』(共訳)みすず書房、などがある。